Tuesday, January 13, 2015

カナダへ行くと決める前のはなし 4

関門海峡 (門司港レトロ 福岡)


少しずつ、行動する力が湧いてきたところで年が明け、
また新しい年が始まった。


当時はまだ通っていた英会話教室の新年会で、イギリス人講師におキマリの 『New year's resolution (新年の抱負)』 を聞かれた。

こういう質問が大好きなイギリス人講師と、嫌いなわたし(笑)
当時の私は、まだ将来とかを考えるのが億劫というか、話していると涙も出てくるし、あまり話題にしたくないものだった。ピンともこないし、話したとしてもその反応を見るのが嫌だった。
あぁ…… という反応が見えてしまい、まだまだ引け目を感じるのだった。 しかも励まされるのがまた辛かった。

けれども、その場の空気も読まなきゃだし… とにかく答えるために考えた。
ふと浮かぶのは 海外 のこと。 サンフランシスコのことがぼんやり浮かんだし、テレビで見たクロアチアの電車旅のことも浮かんでいた。
海外欲が高まっていた。 

「はい、次はマミの番。 新年の抱負はなに?」

と聞かれて、

「そうだなぁ… 海外旅行かな。一度は行きたいと思ってる。」 といった。

イギリス人講師は いいね! っと勢いよく言い、続けて、 「何週間? 何か月? 1年?! ワーキングホリデー?!」 と言ってきた。
「… わからないけど… 何週間かかな…」 と答えると、 「長くいくべきだよ! 長く旅をするべきだ。」 と彼は言った。


その時、私には付き合ってる人がいたのであまり長い間の旅は考えていなかったけど、彼とそれほどうまくいってるわけでもなかったので、このイギリス人講師との会話は自分の中に残った。


彼との別れを意識し始めた頃だと思う。私は新年会で、イギリス人講師に 「ワーキングホリデー?」と言われたことを思い出していた。その時ちょうど30歳で、あと3、4ヶ月で31歳になるところだった。「ワーキングホリデー? ワーキングホリデー?」 頭をぐるぐる回っていく言葉(笑)

「あー、間に合うかもな。」っと想いは強まった。
インターネットですぐにワーキングホリデーについて調べてみた。 

カナダを選択することは調べる前から決まっていた。
興味の度合いも高かったし、申請料も一番リーズナブルだった。
調べてみると、ビザ発給の許可レターは1ヶ月〜2ヶ月ほどでとれるらしく、31歳になるまでには間に合いそうだということがわかった。


彼との関係が変になっていく中で、私はビザ発給許可への申し込みを開始した。


そんな中で、彼との関係に幕を下ろそうと決心した出来事があった。
彼との付き合いは、10ヶ月かそこら辺だったと思う。
付き合いに『無理』のある関係だったのもあって、体に異常が起こってしまった。
生理が3週間ほど遅れたのだった。
付き合っている人があるだけに、ちょっと平常心でいることが難しかった。


すぐさま、私が自分のことをないがしろにしていた 『つけ』 が回ってきたんだ っと深く反省した。
その現象は他にも、私に 彼の『態度や真実』 を見せてくれた。
私も怒っていたが、彼は 「僕は悪くない!」 と言って、私に会おうともせず、とにかく逃げていた(少なくとも向き合ってはくれなかった)し、私に強い怒りの言葉をぶつけた(お互い様なのだけど、当時の私はとにかく謝れ!っと思っていた 笑)。

とにかく話し合っても、その後生理が来ても、彼の様子や態度には落胆するばかりだった。
私は彼の姿を受け止め、彼との関係から降りることを決めた。


別れた後か、別れる前か、そんな違いはもはやどうでも良いくらいのちょうど境目にいた頃、カナダ政府からビザ発給許可レターが送られてきた。

やった!!!!!!!


申し込みを始めてから1ヶ月経たないくらいで、許可が降りたのだった。
私は何度も何度もその文面をくりかえし読んで、訳した。

カナダに行くのか…

呆然と、新しく現れたまだ暗闇に隠れている未来を見ていた。


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