Sunday, January 11, 2015

カナダへ行くと決める前のはなし

幼なじみと(佐賀)


私は小さい頃に、日本を離れるんだっと当然のように思っていた。
行き先はその当時知っていた国で、アメリカ。
他にも多分フランスとかイギリスとか知ってたはずなのに、決まってアメリカだった。
なんでかわからないけど、その理由は多分、スヌーピーとかセサミストリートとか、
そしてスーパーマンとかバットマンのアメコミ系のキャラクター、
サンダーバードとか、ナイトレイダーとかの影響だと思う(笑)

とにかくアメリカってやつに憧れてた。

日本を出たかったことには、その他にも理由がある。

私は小さいころに(も?)苦しい時期があった。
自分なりに苦労を味わっていた。
いじめの対象となったことはきつい経験であった。勇気を振り絞って大人(親や先生)に助けを求めてみても、私はあまりそういう ”助け船” を差し出してもらえるタイプの人間じゃなかった。

「自分に原因が在るんじゃないの?」と言われたり、
「ホントのことなの? 思い過ごしじゃないの? 今度されたらもう一度教えて。そしたら先生がその子(上級生の子)に言ってあげるから。」
と言われて、これ以上ない程に勇気を振り絞って悩みを打ち明けたけれど、
突っぱねられてしまったなぁ と落胆し、二度と大人に相談することはなくなった。

いつか行く、ココではない場所、そしてそれはその当時アメリカだったんだけれども、
それが唯一、自分を励ましてくれた。
部屋で一人、声をこらえて泣きながら想うのは、ココではないどこかの事だった。
自分が何故ここにいるのか、何故ここにいさせられるのかがわからなかった時期で、
私の中にはいつだって日本を出たい 想いでいっぱいだった。


自分が自由になった時に、私は日本を出て海外で暮らしてみるんだと思っていた。


けれども、時間とともに現実が襲ってきて、その想いは薄れてしまった。
楽しい大学生活だったし、時間もあったんだろう。けれども、親に多くを支えてもらいながらの生活の中で留学する度胸はなかった。
週に一度は山に調査へ行っていたし、多分一年の半分は山に行く生活だったから、自由に見えて自由ではなかった。

私は長く大学生活を送り、専門だった森林生態の研究に浸っていた。自分が研究者になるのか、大学の先生になるのか、よくわからないけれども自分がやってる分野をもう少し研究したい、っというのをくりかえして、いつの間にか大学生活も10年が過ぎようとしていた。

博士課程も5年目を迎えることが決定した時、私は将来についてふと考えた。
何も見えなかった。真っ暗闇で全く何をするのかがわからなかった。そして自分が何を研究しているのか、何に向かって研究をしているのかすら見えなくなっていき、毎日が不安でたまらなくなってしまった。
就職活動をしてみるも、合格通知が来ることはなく、不安な日々は続く。ついには夜が怖くなって、眠ることができなくなった。
夜明けのスズメが鳴く声とともに、少しの眠りに入る日々だった。

そんなときですら、私は親に相談することが出来なかった。
とりあえず長期間帰省して、家でゆっくりするけれどもどんどん精神状態が不安定になって、毎日泣いたり喚いたり、髪を引っ張ってブチッと抜いたり、自分の頬を思い切り叩いたり、腕を思い切り掻きむしって血が滲んだり内出血していたり。

そんなボロボロの状態で、親もわけがわからなくなり、私たちは何度も衝突をした。
私は親に理解して欲しい一方で、やはり昔の経験から親に頼ることは選べず、心を許すことができていなかった。
この時の状態は、いじめられていた頃の体験を彷彿とさせる。
でもなんとなく、その頃よりもひどかった。


『不安定な波の中にも安定を見つけてください。』 こう言う表現を聞いたのは最近のことだけれど、私はこの大不安定状態の中に、そんな一つの安定を見つけた。

確たるものではないが、それはとても安心できて、思えば私の中にいつだって在る存在だった。苦しい時はいつもその存在が救ってくれたのに、私はすっかり忘れていた。

私はその日から少しずつ、ほんの少しずつだが、良くなり始めた。
手始めに大学を辞めた。

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