Monday, January 12, 2015

えいごとわたし


うみたまごのイルカ(大分 別府)


英語は好きだ

3つ上の兄が、私より早くにこども英会話教室に行き始め、
私も行くと言ったかは分からないけど、追って教室に行きはじめた。

それまでの私は 「TIME」 と書いてあるのを見て 「チメ」 と読んでた。
ローマ字読みが私の英語のすべて(笑)
なんでかよく覚えていて、兄に「タイムやし、バーカ」とバカにされたこととか。

先生はアメリカ英語を話す日本人で、その音はほんとに美しくてカッコ良かった。顔も覚えていないけれど、その先生のことはとても好きだった。
今思えば、 日本を出たい の想いは、この英会話教室も大いに手伝った気がする。
ここではない国があって、こんなにカッコいい音の言葉を話すんだ と(笑)


英語の教室にいったのは、この時期の3年間くらいと、30歳の1年程で、それ以外は行っていない。
英語が好きだという基礎が出来たのは、多分絶対この小学校3年くらいの頃だ。

*
そうだ、でも最初に外国人に触れたのは、幼稚園の頃。
カトリック系の幼稚園だったのもあって、神父さま(とよんでいたが、園長先生)が外国人だった。
お鼻が大きくて、穏やかで優しい神父さまで、ニコニコしてる人だった。
自分が小さいこともあったけれど、ものすごく大きな人と認識していた(笑)。

*

中学英語はスイスイで、高校英語から英語が嫌いになった。
なんでか全く頭に入ってこなくなった。その後の大学の英語の授業でも英語反抗期は続いていた。
けれども、英語願望は常にあった。

変化があったのは多分、大学院くらいから。

英語をしゃべる環境が生まれた。
インターネットで、チャットフレンドをどうにかして探して会話してみたり。
最初は、思うように喋れず、自分でも何を言ったかわからないうちに相手を怒らせたりした。また、ある人は私がセックスフレンドを探していると勘違いし、卑猥方面へ走って行っていた(彼はその後謝り、そして連絡をすることはなくなった)。
チャットでの会話は、一般的な表現をわたしに教えてくれた。フランクなものから、丁寧なものまで、いろんな言い回しがある "表現の技" を盗んだ。

そうやって、英語の練習が始まった。

そして留学生との交流。
主にアフリカ人の友人たちで、みんな流暢な英語をしゃべる人たちだ。
彼らがしゃべるのは英語。私はしゃべるのは日本語。チャット(メール)ではお互い英語。
訛りのある彼らの会話が、自分の耳を鍛えるには大いに役に立った。そして彼らは私を買っていて、「マミの英語は良い」と、私は日本語担当だったのに言われていた(笑)


外国人とお付き合いもした。
相手は英語が不得意だったセネガル人と、英語はお手の物なインド人。
そして、カナダ人も。
彼氏が外国人だと英語が飛躍的に喋れるようになるよ!というのは、本当なのか実感としてなかったけれど…
英語 の感じやら感覚は掴んでいけた。
※もちろん、相手は慎重に自分の判断で選ぶし、また今度機会があれば話したい。△▲△

思えばよくやってるな(笑)


そして英会話教室に再び通い、1年ほど通ったところで都合により辞めた。
(通ったことはとっても有意義だった!)

数値化できるとよりわかりやすいので、示してみると、
私が大学3年くらいの時に初めて受けたTOEICで450点程だったのが、去年3月に受けたTOEIC(3回目)で745点になった。


よく、どうやって英語を習得したのか聞かれるけどよくわからなかった。
知り合った外国人には、「英語上手だけど、どっか行ってたの?」とよく聞かれる。
自分で理由がわからなかった。
勉強している意識があまりなかったんだと思うけど、先日母親に「あんた、英語好きやけんやろ?」と言われて気づいた。

そうか、英語がすきだからか。

こうしてまとめてみると、それなりに色々と試してみてるのかもしれないけど、「英語がすき」という礎は大きい。
それがやるべきことであるならば、すんなりと自分の中に入ってくる。
自分の中に入ってきて、自分の身となってくれる。

これは、あなたがやるべきことなんだよ っとサポートを受ける。

ちなみに、もちろんのことなのだけれど、今までに全く留学やホームステイなどの経験もない。100%国産留学ってやつだ(笑)

自分がこのグローバル時代に生まれてよかった。
だって、日本にだっていっぱい外国人がいてくれるから、こんな習得方法、普通にアリだ。


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